訃報
2010年1月10日あさ、希望館に入所中のNさん(41歳)が、「急性大動脈解離」で入院先の病院で亡くなりました。Nさんは1月4日正月明け早々にハローワークに行って求職活動をしていました。その時点では、スタッフにも取材のマスコミの方にも非常に元気な姿を見せていました。
ところが翌5日の朝7時頃に、支援用居室のあるアパートに泊りこんでいるスタッフの部屋を訪ねて、「胸が締め付けられる。苦しい。」と訴え、すぐに救急車で搬送されました。その時点でも意識ははっきりあり、救急車まで歩いていけるほどでしたが、病院到着後非常に切迫した状況だということで、心臓の緊急手術を受けることになりました。手術は12時間にも及び、連絡を聞いて駆けつけたご両親も見守る中、手術は無事に終了しました。
1週間が山だということで意識の回復を待っていたのですが、とうとう意識が回復することなく1月10日朝、ご両親が見守る中で静かに息を引き取られました。Nさんのご遺体はご両親が引き取られ、ご実家の方で葬儀がとりおこなわれました。
Nさんが希望館に来たのは昨年の7月31日でした。一昨年秋のリーマンショックの影響を受け、自身も派遣されていた愛知県の自動車関連会社の仕事を失いました。ネットカフェなどで寝泊まりした後、仕事を探して来阪し、ようやく見つけた府内の派遣会社に、昨年2月から住み込みで入ることができました。
ところがその派遣会社も、初夏にかけて仕事が極端に少なくなり、寮費を差し引かれると赤字になってしまうという状態になっていきました。7月の収入は2万円、寮費も払うことができないため、7月下旬にやむなく派遣会社の寮を出て野宿せざるをえなくなりました。野宿しながらハローワークに行っても、紹介してもらえるような仕事もなく、あちこちの公共機関で「たらいまわし」状態になって、なんとか7月30日にOSAKAチャレンジネットにたどり着くことができました。そこから翌7月31日に希望館入所となりました。
希望館入所後は、派遣切りにあった愛知県の派遣会社での失業手当を受給できることが分かり、支援居室に住民登録をおいて受給手続きをおこない、公共職業訓練にも通い始めました。6年前に「大動脈瘤」で4カ月入院したことがあったので、病院にも通って血圧を下げる薬も飲むようになりました。明るくやさしい性格で、スタッフからも同じ入所者からも、訓練校の先生方からも慕われていました。
職業訓練も12月下旬に終わり、さまざまな免許も取って、いよいよ本格的に就職活動をしていこうという矢先に病に倒れ、亡くなられたことはスタッフ一同残念でなりません。
不安定な派遣での仕事と生活を繰り返さざるをえず、最後は野宿までしなければならない状態にまで追い込まれていった不安とストレスが、見えないところで体を蝕んでしまっていたのではないかと考えざるをえません。将来に希望が持てる安定した生活を続けることができていれば、もっともっと自分の体や日常生活にも気を配ることができたのではないかと、くやしい思いと同時に、Nさんとのかかわりの中で、発病や死を避けることができる方法を十分に取ることができなかったのだろうかと、申し訳ない思いとが交錯しています。
新年早々に訃報を届けなければならないのは心痛むものですが、Nさんの死を無駄にすることなく、一人でも多く「野宿になる前、なった直後」に適切な支援を始めることができるよう、スタッフ一同あらためて心を引き締め取り組んでいくつもりです。
今後ともよろしくお願いいたします。
大阪希望館運営協議会事務局次長 沖野 充彦
大阪希望館相談センター スタッフ一同