「大阪希望館だより」創刊号に設立当時の利用者で、今は生活保護を受給しながら病気治療と自立に向けた準備に取り組んでいる原田憲次さん(仮名)が「利用者の声」を寄せておられます。当事者の貴重な声ですので、ご本人の了解を得て、ブログにも掲載させていただきます。
今後、こうした利用者の皆さんの声も、できる限りこのブログで伝えていきたいと思います。
支援必要とする人に「希望館」の存在伝えたい
原田憲次(仮名)
私は、派遣社員として、滋賀県で働いていました。派遣先で正規雇用をすると云われて、でも今住んでいる所は、派遣先が借りてる所で、出ていくか、そこを個人で借りなければならなくて、個人で借りると、最初にまとまった金額が必要で、自分にはそのお金を用意することができない為、辞めるしかなかった。
そして大阪に出てきて、最初は少しのお金があったので、ホテルとか泊っていたけど職がみつからなくて、そのお金もなくなり、公園でぼうっとして、2日間野宿をする事になり、その2日間は、絶望と生きていく望みを失い、なにも考えることが出来ない状態でした。
でも昼間に公園の広場を見ていて、人が遊んだり散歩したり、笑い声を聞いた時、ふっと思いました。こんな事では、いけないと、最後の力を振り絞って、近くの交番に行き相談をしました。今考えたら警察に行っても、犯罪を犯した訳でもないのに、その時は夢中だったんで、わらにもすがる思いで駆け込みました。交番で、西成にいけばいくらでも仕事があるから、行ってみたらどうだと云われて、西成へ行きました、でも、西成にいっても、どうしていいかわからず、途方にくれていた時に、通りかかった青年に、NPO釜ヶ崎支援機構に相談に行くようにいわれ、夜だったから明日行こうと思いました、その日は路上で一夜を過ごしました。
翌朝、釜ヶ崎支援機構を訪ね、職員に案内されて支援員の方と会う事ができました、相談の結果4日間宿所を提供してもらい、大阪希望館へ入所する事ができました。支援居室へ住民票を移して、雇用保険の受給申請をするとともに、職業訓練の申し込みをしました、職業訓練が始まるまでの間、淀川清掃作業をしながら、体調を整えました。
職業訓練を行っている間に、西成に住むところを決め、現在体の治療をしながら、生活保護をもらっています。
自分はこうして相談できる場所にたどり着けたけど、まだまだ世の中には、そこまでにたどり着いていない人が、たくさんいると思います。そのためこういう支援、または相談できる所があるということを、世の中の人に知ってもらいたい。そのためには、自分たちが、支援集会で、体験したことを、発表して多くの来場の方に訴えて、行きたいと思います。
もうひとつ、伝えたい事があります、途方にくれている時に、通りかかった青年に声をかけられた様に、自分もそのように、声をかけて行こうと思います。