HOME

2014年3月1日

3月16日(日)第2回希望祭〜ホッポちゃんとタイムスリップ〜開きます。フリーペーパー「HOPE・O(ホープ・エッグ)」第2号もできました。

Filed under: お知らせ,スタッフBlog — 事務局 @ 7:39 PM

第2回希望祭チラシ前回好評を博した「希望祭〜ホッポちゃんと遊ぼう〜」に続き、

2弾!「第2回希望祭〜ホッポちゃんとタイムスリップ」を

316日(日)に、旧天神橋温泉で開きます。

ステップ就労事業で使わせていただいている昭和レトロの雰囲気をそのまま残したお風呂屋さん(現在は廃業)で、これまたレトロな昭和20年代〜40年代の懐かしい品々と遊びで盛り上げようという企画です。

午前の部(10001200)は、懐かしい品々の展示会。

午後の部(13001600)は、おてだま、おはじき、めんこなど、懐かしい遊びが体験できます。

なつかしい駄菓子屋さんも開店。

さらに“ホッポちゃん地蔵”なるものが登場するらしい。

天神橋温泉

ぜひお立ち寄りください。

また、フリーペーパー「HOPEO(ホープ・エッグ)の第2号も発行。

今号は、8ページ。困ったときの相談先や第2のセーフティネット、希望館が活動している地域の人たちの紹介です。


ページ8-1

ページ2-7

ページ6-3

ページ4-5

ホープ・エッグ第2号2ページ3ページ4ページ

5ページ6ページ7ページ裏表紙付録

2013年11月11日

ヒューマンライツ11月号(部落解放・人権研究所発行)に 大阪希望館の取り組みが掲載されました。

Filed under: 更新情報,論文・提言 — 事務局 @ 4:06 PM

安心できる居場所を提供して再出発をささえる
「大阪希望館」

二〇〇六年ごろから日本中で「雇い止め」や「派遣切り」の問題が深刻化し、若年層のホームレス問題が表面化していった。そのよう な状況の悪化をなんとかするべく民間の有志、団体が連携し、二〇〇九年「大阪希望館」が大阪市北区に誕生した(二〇一二年一般社団法人大阪希望館設立)。 安心して寝泊りできる住みかを提供し、再出発までをささえていく「大阪希望館」。立地を繁華街の一角にしたのも、小規模にしたのもそれぞれ理由があった。 従来の形にとらわれず、新たな支援の形を模索しつづけている「大阪希望館」の沖野充彦さんに、設立に至るまでの経緯、これからの取り組みについてうかがっ た。(聞き取り・ヒューライツ編集部)

1、ホームレス問題の変化

「大阪希望館」(以下、希望館と略)が大阪市内で始動したのが二〇〇九年で、その数年前から社会では「ネットカフェ難民」と呼ばれ る若者について語られることが多くなってきていました。二〇〇六年の暮れごろ、当時私が活動していた釜ヶ崎で、ちらほらと「いままでとちがうタイプの若い 子」の仕事探しの姿を目にするようになっていました。大きなリュックサックを背負って、日焼けもしていない顔でうろうろする若者の姿を見て「釜ヶ崎に異質 なものが入ってきているな」という思いがしました。

それと同時に釜ヶ崎支援機構の相談窓口に「仕事のあるときは建設の日雇いの仕事をして、住み込みの寮のある派遣にも行きます。その 仕事がいやになったり、任期満了になって住むところがなくなったら、ネットカフェに寝泊りします」という若者がときどきやってくるようになりました。仕事 も住まいも不安定な労働者層、いつでも野宿寸前、そういう状態の若い人たちが出てくる時代に入ってきているのが分かって、ホームレス問題が大きくかわって きているのを実感しました。

一九七〇年代の終わりごろには建設業一色になっていた日雇い労働が、二〇〇四年に製造業派遣が解禁されて以降、新たな形で問題が出てきて、それまでは比較的中高年の年齢層にかたよっていたホームレスの問題が、すべての年齢層に広がっていったのです。

次第に状況が深刻になるのが見えてきて、「なんとかせんといかんな」と思いながらも、あまりしっかりとした大阪の状況が把握できず にいましたが、二〇〇七年ごろから東京の「ネットカフェ難民」の情報が聞こえてくるようになります。そこで大阪の問題も明らかにしていこうと、大阪市立大 学の調査グループと実際に聞き取り調査をすることになりました。二〇〇七年七〜九月にネットカフェ前でチラシを配り、夜中にマクドナルドなどで聞き取り調 査をしていきました。一〇〜一一月にはホームレス自立支援センターへ行って、「ネットカフェを利用した」という人に聞き取りを行いました。合計一〇〇人の 話を聞き、二つの結論にたどりつきました。

——————————————————————————————-

沖野充彦(おきの・みつひこ)さん

沖野充彦(おきの・みつひこ)さん
大阪希望館運営協議会事務局長(一般社団法人大阪希望館代表理事)/特定非営利法人 釜ヶ崎支援機構(NPO釜ヶ崎)理事
1961年生まれ。関西学院大学中退。79年より釜ヶ崎の労働者支援に関わる。85年から釜ヶ崎で日雇労働をしながら労働問題や医療・福祉・野宿の問題の 相談支援に携わる。2009年大阪希望館設立に伴い、同運営協議会事務局次長(2011年7月〜事務局長)。

2、聞き取り調査から見えたこと

まず一つは、不安定な生活をしている若い人たちは、生活に困っても釜ヶ崎まではなかなかたどりつけないということです。「労働福祉 センターに行ってみたけれど、あの雰囲気のなかには溶け込めなかった」。釜ヶ崎の中にある宿泊施設が自分たちの生活してきた世界と違うことを強く感じて、 とてもなじめないと言うのです。

もう一つは、彼ら若者は釜ヶ崎に集まってくるおやじさんたちと、人生観や、仕事に対する考え方がまったく違っているということでし た。上の年齢層の人たちは「おれは仕事が誇りや」と、職業意識が非常に強い傾向があります。そういう意味では、彼らへのサポートは、精神面というより高齢 になっても働ける仕事づくりや健康管理・生活設計のフォローが重要です。

一方の若者は、精神的な支えが必要なことを強く感じました。「将来、自分はなにに向かっていくのか」そこから考える作業をはじめな いといけない。そうしないと、一時的に支援があっても、その後、社会の中で生きて抜いていくのがむずかしいだろう。何がしたいかよく分からず「先が見えな い」という状態にある人が多いことが分かりました。

3、OSAKAチャレンジネットからのひろがり

二〇〇八年度、大阪ではネットカフェ難民対策用の相談センター「OSAKAチャレンジネット(住 居喪失不安定就労者支援センター)」(以下、チャレンジネット)を開設することが決まりました。どこに開設するかは、聞き取り調査結果をもとに「かならず 釜ヶ崎の外に作る」ということを意識し、繁華街にあるネットカフェに寝泊りしている人も相談にきやすい場所で、さらに公的な機関に付属しているところがい い、というような議論をして、大阪市内の中央区にあるエルおおさか(大阪府立労働センター)内に、大阪労働者福祉協議会が開設したライフサポートセンター と併設する形で設置しました。

しかしチャレンジネットが動き出した直後、壁にぶつかります。たとえば「仕事がなくて当面の生活費がない、寝泊りする場所もない」 という人に単に職業紹介をしても、実際には給料をもらうまで生活できません。また、法律上はホームレスの定義は「野宿生活者」ですから、二〇〇八年当時公 式的には、ネットカフェで寝泊りしている人はホームレス自立支援センターの対象ではなかったのです。また、ホームレス自立支援センターに入れたとしても、 ここは年齢層も職業もばらばらの何十人もの人が集まって生活していて、なかには集団からはじき出される人が出てきます。そういった現実を見て「ほかに支援 する場所が必要だ」という議論がすぐに出てきました。

とはいえ「資金面の問題」と「どこが責任を持って事業を行っていくか」、この大きな二つの問題で話が止まっていました。しかし、そ こから「待ったなし」で秋にはリーマン・ショックがおこり、二〇〇九年の年明けからは相談に来る「元派遣労働者」の数がどんどん増えていきます。相談者の 数は一気に三、四倍になり、ホームレス自立支援センターも満員になり、入るまでに一、二カ月待ちの状態になっていきました。

野宿生活を何カ月も強いられたら人は精神的にも肉体的にも不安定になります。また、だんだんと野宿生活から抜けられなくなっていく 危険性もあります。野宿生活は最初は「このまま死んでしまうんだろうか」と思うほどきつくて耐えられないのですが、一週間食べられなかったら、廃棄食品を もらってでも生きのびるしかなくなる。そこで野宿生活へのハードルをひとつ越えるのです。それからは先輩の野宿生活者から物資の準備や拠点について学び、 廃品の回収の方法を学んで生活が成り立っていく。そうなると今度は畳の上の生活に戻るのが怖くなる場合があります。できるだけ早い段階で路上生活から抜け 出さなければ、長期化した結果、最後は体をこわし、たとえそこで畳の上に戻ってもすぐに亡くなってしまいます。あるいは病院にかかれずに衰弱して路上や救 急搬送先での死に追いやられてしまう人もたくさんいるのです。

若い野宿生活者がどんどん増える前に、なんとか民間の力で緊急支援の場所を作ろう、という動きがおこりました。その結果、労働団 体、宗教者、NPO、人権団体、社会福祉団体などの壁を越えた集まりが一緒になって動き出し、二〇〇九年五月に支援拠点となる相談センターと支援居室を開 設し、七月には大阪希望館の運営母体となる運営協議会を発足させることができました。希望館の開設を準備した時期は、ちょうど国から定額給付金が支給され る時期でもあったため、「いま、このタイミングなら市民からのお金が集まる」と判断しました。各団体がそれぞれ市民に訴えかけ、ここで一気に作ってしまお う、という流れになったのです。

4、生活保護にたよらない支援の形

社会の大きな転換点で状況が変化するとき、行政に対策を求めるだけではだめです。行政は実際に何かをやろうとしてから、数年は時間がかかります。それは仕組みがそうなっているのだから、市民は文句を言うだけではいけないのです。

東京の「年越し派遣村」(以下、派遣村)は、最後は行政に任せて「生活保護」という形で終わりをむかえました。その結果、若くて働 く能力のある人でも生活保護にたよる生活に陥って労働意欲を失ってしまうこともおきました。「二〇代、三〇代と生活保護の水準以上の手取り額をもらったこ とがない」という人がたくさんいる今の世の中です。社会がそんな状況なのですから、この結果は無理もないことです。

だからこそ、私たちは生活保護にたよらない支援の形を作る必要があるのではないか。そうしないと、本当にその人の働く力、生きる力 を奪っていくことになりかねない。そう考えて、私たちは希望館を設立するにあたって小さくても「モデル」となるものを作っていくことをひとつの基本線にし て、民間の力だけで出発して希望館を作っていきました(二〇一〇年度からは、大阪市の「住居喪失離職者に対する総合的就労支援事業」等に応募して選定され るなど、一部行政からの受託事業や補助金で支援用居室の家賃光熱費等をまかなっています)。

5、希望館の特徴

①コンパクトな安心できる住まい

希望館は、簡単に言うと「グループホーム型のミニ自立支援センター」です。そこで私たちが大事にしたのは「できるだけ小規模」で、しかも「境遇が似ている人たち」が集まる場にすることでした。

入居にあたっては、障がいや精神疾患は重くなく、常用就職をめざしてやっていけるだろうという層で、年齢は四五歳以下にしぼり込ん でいきました。それからメンタル面を意識して、ホームレス自立支援センターで集団で過ごすのがしんどい人にターゲットをしぼりました。また、お互いに励ま しあっていくことができやすいように、似たような境遇の人たちが集うところにしようと考えました。

経てきた環境や境遇が近いことは、入居者同士がお互いを理解しやすく、励ましあいやすくなるからです。ある入居者は「いままで派遣 に行ってた時は、帰る家があって家族がいるふりをしていたが、希望館に入って自分のありのままを話せるようになって、『隠さなくていいんだ』と気持が楽に なった」と話してくれました。

②「個」と「集団」のバランスを考える

私たちが希望館の運営で大事にしているのが「個」と「集団」の関係です。希望館では寝泊りするのはアパートの「個室」です。ただ、 それだけではひきこもってしまう危険がありますから、必ず朝九時には事務所に顔を出すことをルールにしたり、シャワーや洗濯機はアパート内の談話室の一角 に設置しており、集団の生活にもなじめるようにします(希望館入居後のおおまかな流れは図参照)。

相談センターのある事務所では生活の相談や就職相談や準備に向けての作業をします。ただ、夜はできるだけリラックスできるような場 を提供する。繰り返しになりますが、そこでみんなと自分のことを話したり、先輩の話を聞いて「自分もこうやったらなんとかなるかな」という安心感を得られ るようになっていく。たとえ就職活動がなかなかうまくいかなくても、先に就職した人や卒業して自立した人からアドバイスをもらったり、励まされたりして、 くじけそうになる心を回復しながら挑んでいくことに効果があったと思っています。

そして大切なのが「焦らせない」ことです。焦らせないけれど、着実にやっていってもらうためにはどうすればいいかを考えていきま す。みんな入居した当初は一日でも早く仕事を見つけてここを出て行こうとします。焦った状態で仕事を見つけても、また失敗する可能性も高くなるわけです。 入居してから一週間くらいは落ち着くための時間と考えています。そういったとき、落ち着くためには「個室」というのはいい効果をもたらします。

その後、就職して生活が安定したら、三LDKのシェアハウスで三人暮らしをしながらアパートを借りる資金を貯める仕組みにしています。そこからは時間の管理から水まわりの掃除まですべて自分たちで管理していくようにします。

図1 大阪希望館入居後の流れ

6、生活リズムをスムーズに回復させるために

希望館では「生活保護に頼らない支援」をするため、大阪ホームレス就業支援センターや行政の補助金や委託事業などを活用させてもら うことで、訓練作業の手当てを支払っています。週三回、淀川河川敷で九時半〜一五時半までボランティア清掃を行ったときに、四五〇〇円を支払います。

希望館は「泊まるのはタダだが、食費と就職活動のための交通費などは自分で稼いだ金でまかなう」システムをとっています。このシス テムは釜ヶ崎の特別清掃事業が参考になっていて、作業をしてお金を受け取ると、受け取る側に、「自分が働いた対価としてもらえているお金だ」という実感が 生まれます。この清掃作業が社会のために役立っていて、しかも自分で稼いだ金で飯を食っているという気持ちがうまれます。若い人たちも同じです。就職活動 の資金を単に給付されるのと、労働の対価として得るのとでは、モチベーションがぜんぜんちがってきます。

また、計画的にお金を使うためには四五〇〇円の手当てのうち、一日に一五〇〇円しかわたしません。こうすることで、翌日、訓練作業に行かなくても一五〇〇円が支払われ、食べるのに困りません。また、就職が決まっても、たまったお金は事務所で預かっています。

訓練作業は「生活のリズム」という面からも効果があります。ベースとなる生活リズムを就労のサイクルでつくっておけば、再出発への ハードルを低くしていくことができるからです。規則正しい生活をしていると、みんな、だんだん落ち着いてきます。本人たちから話を聞くと、「昼間にするこ とがある。ハローワークと部屋の往復だけでは気がめいってくるけれど、昼間働いたら気分転換できる。働く生活リズムができている。働くことが大事だという 意識を失わなくてすむ。そこの水準が下がらないから、就職というレベルにまでもっていきやすい」という意見が出てきました。

7、「あたたかさ」と「きびしさ」の両立の難しさ

希望館では、巣立っていった人たちを「卒業生」と呼んでいますが、出たあとうまくいっている人も、そうでない人もいます。年間二〇 人くらいずつ入って出て行き、現在は最大九人の受け入が可能で、四年間の卒業生は七〇人程度です(二〇一三年八月現在)。卒業後も年二回開いているシンポ ジウムの連絡を出して、返事の有無などで生活状態を把握したりしています。また、卒業後も事務所や談話室に遊びにくる人もいて、困っていることなどの相談 も行っています。

四年間の取り組みのなかで一番むずかしいと感じるのが、「相手との距離のとり方」です。私たちが行っているパーソナルサポートの手 法は、当事者と支援者との「立場の違い」と「距離」をうまくとらないと、支援が手厚い分、本人の生き抜いていく力を奪ってしまう危険性をはらんでいると感 じます。そういう意味では「あたたかさ」と「きびしさ」をどうやって両立させるかが非常に重要になってきます。

卒業生からのコメントでは感謝とともに、「社会の現実はきびしい」という言葉が聞こえます。ここは一時的な避難場所にしかすぎない のですから、ここでの生活を肥やしにして、これからの人生をどうやっていくか、そのターニングポイントに希望館をできるかどうかはその人にとっての課題で あり、私たちの課題でもあります。

8、地域コミュニティの再生の担い手に

二〇一〇年から徐々にはじめていったのが「おおよど縁パワーネット」という取り組みです。希望館と大淀寮(地域内の生活保護施 設)、大阪市立大学都市研究プラザで地域の自治会などと連携してコミュニティの再生を図る事業をはじめ、二〇一二年には一般社団法人大阪希望館を設立した ので、そちらで引き継いで行っています。地域の町内会やイベントに参加しながら、地域に貢献する活動を行っています。目的は、大きくは「大阪のまちを大き なセーフティネットにしていく」ということで、希望館を地域に認知してもらいながら、希望館の入居者がまちの活動に参加して、自分が住んでいる地域がどう いうところなのか、という感覚を育むことを意識しています。

ホームレス状態で、あちこち転々としていると「自分はひとり」という感覚が強くなるものですが、地域内で「はげましあう仲間」ができる感覚が芽生えると、安心感を得ることでき視野が広がることにもつながります。

「自分」しか見えなかったところから周りがだんだん見えてくるようなると、その延長線上に自分が働いている企業、職場のことも考え るようになって、いまこの会社はどういう状況なのか、やめたとき、仕事がすぐにみつかるのかどうか、そのあたりも含めてもう少し広い視点から自分の選択を 考えられるきっかけになると考えています。

9、今後の取り組み
〜ホームレス予備軍をどう見つけて支援するか

ネットカフェ難民や不安定就労者がホームレスの予備軍だとしたら、ニート、フリーター層というのも実は予備軍で、地域に多くいると 思います。これから問題が深刻になるのは四〇代、五〇代のひきこもりの人などで、親の年金で暮らしている層ではないでしょうか。この人たちは親が亡くなっ たあと、五〇代後半から六〇代で路頭に迷う可能性がありますが、生活力の乏しいこの人たちをどうやって支援していけばいいのか、これからの支援システムと してしっかり考えていかないといけないと思っています。

そのため、希望館での支援の対象者を考えたときに、住居を失った人だけでなく、親元にいる、アパートにいる、という層も含めて予備軍と思われる人たちへの支援の活動をしていきたいと考えています。

いまの世の中では、「単身の若者で、仕事するのが苦手。療育判定をうけたら手帳をとれるかもしれないけど、すぐには分からない。あ きらかに路上生活しているわけじゃなくて、友人宅や、ゲストハウスなどに寝泊りしている」こういった、既成の制度にひっかかりにくいけれど困難を抱えた人 たちが、どんどんホームレスとボーダレスになって出現してきています。

そういった人に向けて、若者支援から単身で孤立している人たちへの支援までうまく一緒にやっていけたら、縦軸の(一つだけの)支援だけじゃなくて、横軸が何本も敷かれて、網の目のような支援のスタイルがつくっていけるんじゃないかと考えています。

また、地域に根ざして地域の困窮者を支援しながら、ほかの地域からはじき出されて困っている人も受け入れて支援を行っていく「拠点地域」の考え方をすすめることで、安心できる街をつくっていくことができると思います。

そういう取り組みが、今後の生活困窮者支援に求められていく形ではないでしょうか。

(二〇一三年八月七日大阪希望館にて)

2013年6月17日

4周年記念集会(第5回総会)〜ご参加ありがとうございました

Filed under: お知らせ — 事務局 @ 3:44 PM

「大阪のまちを大きなセーフティネットに!」を掲げて、仕事と住まいをなくして路頭に迷った若者たちの再出発を支援してきた大阪希望館の活動も、5年目に入りました。
今年の記念集会では、大阪府羽曳野市で「支えあい・多文化共生・持続可能なまちづくり」を進める活動をされている「支縁のまち羽曳野希望館」を迎え、地域をセーフティネットにしていくためのヒントを、一緒に探りたいと思います。

入場は無料、事前の申込は不要です。ふるってご参加ください。

日時 2012年7月21日(土) 13:30〜16:00
会場 豊崎東会館
チラシ シンポジウム案内チラシ(PDF)
  • 日時 2013年7月27日(土) 13:30〜16:00(開場:1300
  • 会場 豊崎東会館 大阪市北区長柄西1139
  • シンポジウム案内チラシ(PDF)
大阪希望館設立3周年記念集会

2012年7月24日

7月21日、豊崎東会館で「大阪希望館設立3周年記念集会」を開催

Filed under: スタッフBlog — 事務局 @ 4:50 PM

-大阪希望館設立3周年記念誌「大阪希望館3年間の挑戦-誰も社会からこぼれ落とさないを合言葉に―」を発行-

豊崎東の皆さんはじめ110人が参加

7月21日、北区の豊崎東会館にて「大阪希望館設立3周年記念集会」が開催され、地元、豊崎東のみなさんをはじめ、労働組合、NPOや福祉施設関係者、宗教者など支援者110人が参加しました。

大阪希望館代表幹事 山田保夫さん 大阪希望館代表幹事で前大阪労働者福祉協議会会長の山田保夫さんが開会あいさつに立ち、「今回で退任となるが、これからもライフワークとして関わっていきたい」と希望館への思いを語られました。

沖野事務局長続いて第4回総会議案の審議に移り、沖野事務局長が経過と議案を一括提案、参加者全体の拍手で可決決定されました。

「人が人として生きること」松浦神父が講演

松浦悟郎 神父総会から記念集会に入り、代表幹事でカトリック大阪大司教区補佐司教の松浦悟郎神父が設立3周年記念講演。演題は「人が人として生きること」。講演で松浦神父は「マズローは人間欲求を生理的欲求から自己実現の欲求までの5段階に分類したが、私にはさらにその基層にもう一つ深い層があると思える。

人間には、人間が人間であることを支える尊厳に関わる層である。体の傷は治療で癒され、心の傷は人間関係の修復で癒されるが、尊厳に根差す層が傷つけられると簡単には癒されない。そこが傷つけられると人は自分で自分を否定してしまうからだ。そうした層への共感の重要性を灰谷健次郎は沖縄の『肝苦りさ(ちむぐりさ)』という言葉に見出した。『肝苦りさ』を失わなければ生きていける、と。希望館はこの人間の深層に届いた支援をこれからも担っていっていただきたい」と語られました。

入居者・卒業者が近況と決意語る

決意語る入居者・卒業者次に2人の入居者と6人の卒業者が参加者の前で近況を報告。なかなか安定的な就職先はなく、緊急雇用対策で働きながら自立生活を継続する人や今は病気治療を優先せざるを得ない人など、厳しい実態の中で懸命に生きる姿が参加者の心を打ちました。

人情噺に和み、新たなチャレンジを決意

笑福亭仁勇師匠後半は、笑福亭仁勇師匠から古典落語「鹿政談」をご披露いただきました。これはうっかり鹿を殺してしまった正直者の老豆腐屋さんを奉行はじめみんなが守ってあげる上方落語らしい人情噺。会場は穏やかな笑いに包まれました。

最後に新しい代表幹事に就任された大阪労働福祉協議会会長(連合大阪会長)の川口清一さんから閉会のあいさつ。「希望館が必要とされない社会が望ましいが、むしろ逆行している。希望館を発展させつつ、行政への政策要望にも力を入れていきたい」と締めくくられました。

大阪希望館3周年記念誌を発行

また、今回の集会に向けて大阪希望館設立3周年記念誌「大阪希望館3年間の挑戦-誰も社会からこぼれ落とさないを合言葉に―」が発行されました。記念誌には名誉館長で直木賞作家の難波利三先生が一文を寄せてくださっているほか、3年間の活動の記録と分析、多くの支援者の皆さんの希望館へ託す思いなどが満載されています。

これからもよろしくお願いします

「大阪希望館」は3年を経て、一般社団法人資格も取得し、新しい歩みをスタートします。今後とも皆様のご支援とご協力をお願いいたします。

2011年8月1日

難波利三名誉館長招き希望館総会・2周年記念集会を開催(7/30)

Filed under: お知らせ,スタッフBlog — 事務局 @ 11:32 PM
「淀川寮音楽クラブ」の皆さんによるオープニングコンサート

「淀川寮音楽クラブ」の皆さんによるオープニングコンサート

 大阪希望館は、7月30日大淀コミュニティセンター・ホールで、第3回総会および設立2周年記念集会を開催しました。

木下町会長 2周年集会では「淀川寮音楽サークル」の皆さんによるオープニングコンサートに続き、豊崎東校区連合振興町会長で、北区全体の振興町会長でもいらっしゃる木下隆裕様から来賓あいさつをいただきました。豊崎東校区の皆さんには日ごろから縁パワーネットの皆さんが大変お世話になっており、この集会にも町会役員・女性会役員の皆様をはじめ多数ご参加いただきました。また、北区社会福祉協議会会長・高谷正様、北区長・上平康晴様、衆議院議員・森山ひろゆき様から、心温まるお祝いのメッセージをいただきました。ありがとうございました。

沖野事務局長 続いて大阪希望館・沖野事務局長から、「“再出発支援”から“地域のセーフティネット”へ」と題して、この2年間の大阪希望館の取り組み、特に希望館の卒業生たちが、「縁パワーネット」スタッフとして地域のまちづくり、コミュニティづくりの担い手として活躍できる場を開拓した2年目の取り組みについて、報告を行いました。さらに最近、希望館に入り、淀川清掃に従事しながら次のステップを目指している方。希望館からアパート自立しし、緊急雇用訓練事業を活用して働きながら次の就職活動を進めている方。希望館を卒業し、縁パワーネットの一員として活躍しながら、将来介護の仕事に就くことを目指している方、の3人の方から、苦しかったころの体験談やこれからの決意が述べられ、会場からは激励の拍手が寄せられました。

難波利三先生 集会の最後は、直木賞作家で名誉館長として大阪希望館を応援してくださっている難波利三先生から「なにわ文化と人情ばなし」と題して記念講演をいただきました。講演では、小説「大阪希望館」にまつわるエピソードをご披露いただいたのちに、なにわ名物開発研究会が主催する「なにわ大賞」や今宮戎神社が主催する「子供恵比寿マンザイ新人コンクール」など民間の力でなにわ文化を楽しく(いちびり精神で)支える大阪ならではの活動を紹介され、さらに先生のふるさと温泉津(ゆのつ)温泉で遭遇したほろっとくる人情話を語られ、最後に「文化とは何か。私は、お互いにいのちを大切にして、生きる喜びを分け合いましょうよ、ということ。それが文化ではないかと思っています。その意味では大阪希望館の活動は文化活動でもあります。ぜひこれからもがんばってください」と締めくくられました。

 今回の記念集会には、地元豊崎東校区の皆さん、連合大阪など労働組合の皆さん、宗教関係者の皆さんなど、総数約230人の皆さんにご参加いただきました。心からお礼申し上げます。また3年目に入る大阪希望館の活動に、これからも温かいご声援とご指導をよろしくお願いいたします。

2010年12月7日

論文『大阪のまちを大きなセーフティネットにを』アップしました

Filed under: 更新情報 — 事務局 @ 11:42 PM

「論文・提言」コーナーに新しい論文『大阪のまちを大きなセーフティネットに-仕事と住まいをなくした人の支援センター「大阪希望館」の挑戦-』をアップしました。
この論文は、「市政研究」第169号(2010年秋号)に掲載されたものです。ぜひご一読ください。

http://osaka-lsc.jp/kiboukan/teigen/teigen_004.html

2010年12月4日

11月28日、「大阪希望館シンポジウム」を開催―平松市長も参加

Filed under: お知らせ,スタッフBlog — 事務局 @ 2:25 PM

「おおさかをだれもが働けるセーフティネットのまちに」をテーマに、11月28日、ヴィアーレ大阪において、「大阪希望館」運営協議会主催によるシンポジウムが開催されました。

平松市長 シンポジウムには平松邦夫大阪市長、中川治民主党衆議院議員も参加。あいさつに立った平松市長は、「新卒者の就活が悲惨な状況にあるとの報道が連日なされ、若者の中に追い込まれ感、閉塞感が高まっています。大阪から何とかこの局面を打開したいと、経済活性化の計画づくりに取り組んでいます。先ほど中川代議士から提案のあった“就労支援特区”構想についてもぜひ真剣に検討したいと思います。神野直彦先生は『競争は絶望を生み、分かち合いは希望を生む』とおっしゃっています。それぞれが持っているものを分かち合うことこそが、成熟した時代におけるイノベーションであると思っています。そのために行政に何ができるか。『いっしょにやりまひょ』を合言葉に、私も全力で頑張っていきます。一緒に大阪から日本を変えていきましょう」と訴えました。

シンポジウムの第1部は大阪でのワークサポートの取り組みについて、4つの団体から活動報告を受けました。活動報告を行ったのは、知的障がい者への就労支援に取り組む「障がい者就業・就労サポート協働機構」の三宅嘉美さん、ひきこもり・ニート支援に取り組む「ニュースタート事務局関西」の高橋淳敏さん、福祉の援護を必要とする若者ホームレス支援に取り組む釜ヶ崎支援機構の松本裕文さん、そして住まいと仕事をなくした人への支援に取り組む大阪希望館の沖野光彦さんでした。

宮本先生 第2部では、まず放送大学教授の宮本みち子さんから問題提起として「若者支援の現状とパーソナル・サポートの課題」と題する講演を、大阪市市民局雇用・勤労施策担当部長の錦織啓さんから「大阪市の実情と課題」と題する報告を受けたのち、「働くことをどうささえるか」をテーマに、活動報告者4人に宮本先生、連合大阪事務局長多賀雅彦さんが加わり、パネルディスカッションを行いました。

パネルディスカッションの最後に宮本先生は「このシンポジウムを通じて明らかになったのは、これまで障がい者行政・青少年対策・生活保護行政・ホームレス対策など各分野で縦割りの中で検討されてきたものを、こうして横に並べてみるとみんな同じ課題に直面していることが分かったこと。それは障がい者の分野が一番制度的に確立しているが、一人一人にアセスメントを行い、個別に支援していくことの大切さです。何らかのハンディを持っている人が必要としているのはこうした支援です。しかし、この国は人へのパネルディスカッション支援にはお金をかけてこなかった。パーソナル・サポート事業の創設は、事業自体よりやっとその問題意識に国が気付いたことが重要です。大阪には今日発表いただいたようにパーソナル・サポートのモデルともいうべき実践が豊富に存在しています。ぜひ、大阪から発信していっていただきたいと思います」と、まとめられました。

本シンポジウムの参加者数は約230人。会場でのカンパでは約2万円の寄付が集まりました。ありがとうございました。なお、今回も「おおよど縁パワーネット」の皆さんに会場設営や片づけなどのお手伝いをいただきました。受付風景

2010年10月1日

平成22年度大阪府働く環境整備推進事業に採用されました。

Filed under: お知らせ — 事務局 @ 1:54 PM
  • osakakiboukan_soudan_201010毎週土曜日(午前10時~午後3時)の相談事業を開始します。
    詳細はチラシをご覧ください(PDF)
  • 人材育成講座を開始します。労使トラブルが生じたとき、生じそうになった時に、相談にのって、労使双方にアドバイスすることができる「労働トラブル防止アドバイザー」の育成を目的としていますが、労働者が困った時に役立つ知識、相談先等の講座です。参加希望の方は添付であらかじめ申し込んでください。
    人材育成講座申込書、講座のカリキュラム(PDF)へ

2010年8月7日

設立1周年記念集会での金子先生の記念講演《要旨》を掲載しました

Filed under: お知らせ,スタッフBlog — 事務局 @ 5:18 PM

《大阪希望館設立1周年記念集会記念講演要旨》

社会を変革する希望の力

天理大学おやさと研究所教授 金子昭さん 

1.宗教者の「目線の高さ」とは

金子昭先生 宗教者が「大阪希望館」のような支援活動に関わる姿勢について、あるマスコミ関係者の方から「宗教者の目線は高い」と言われたことがあります。私自身は「中途半端な高さの目線」になっているのではないかと思っています。むしろ自分自身を見直せるくらい「もっと高い位置から俯瞰」することが、「徹底した低い地点」の見方にも通じるのではないでしょうか。

 私は高校時代に不登校になり、私立高校から公立高校・夜間高校と高校1年生を3回経験しました。夜間高校に通学していたとき、どんな現実にも二重三重の意味があることに気付きました。「不登校」も「学校恐怖症」「登校拒否」と名前を変え、時代と共に価値観が動いていると実感します。自暴自棄にならなかったのは、心のどこかにに「希望」の2文字があったからだと思います。

 社会変革などの運動にかかわる「立場制(ポジショナリティー)」について、本田哲郎神父は「相手の立場に立つしかない。そこから出発しないと正しい人間関係が出来ないのではないか」と仰っています。他者とかかわることによって自分を確認し、自分の立場を超え、より大きな立場で「つながっていく」ことができるのです。 

 最近の政治家には「対立の図式」を描き、そこに「目に見える敵」を作り出し、その敵をたたくことによって勝ち組になろうとする人が多いように見受けられます。背景にヒーロー待望論があるように思いますが、社会は「対立の図式」から「複雑系」として捉えていく必要があるのではないでしょうか。

2.民衆宗教と「世直し」の力

 民衆宗教と「世直し」の力についてお話します。「民衆」と同じような言葉として「大衆」がありますが意味は異なります。「民衆の力」は希望であり、そこに「(民衆)宗教」があります。その昔、人々はお上に頼らず、自分たちの力で世直しをすべく立ち上がりました。下からせりあがって世直しをした。社会の谷底からせり上がっていくのが希望の力であり、民衆の力であり、それが民衆宗教です。

 大塩平八郎は弱者救済の世直しに立ちあがりました。中山みきは引きこもり後、救済を開始しました。赤沢文治は金光教を開きました。「世直し・改革」は「外側からの改革」か「内側からの改革」か、で分かれます。「外側からの改革」は権力に対して暴力をぶつける「上から目線」の改革であり、「内側からの改革」は権力を内側から変革するものです。「内側からの改革」は静かな共鳴と反響を及ぼしていく民衆宗教が目指す改革であるといえます。中山みきは引きこもり、自分を深く見つめ直し、空高く俯瞰するところから世直しの改革を説きました。「世直し」と「心直し」、社会変革と自己変革をワンセットとして、痛みをばねに、自分を問い返し、「痛みのない社会づくり」にとりくもうとしたのです。

 3.社会を変革する“希望の力”

 人間とは「希望する人homo esperans」(エーリッヒ・フロム)だと言われます。希望と期待は異なります。期待は受身です。希望は自分に対して持ち、能動的に働くものです。自分で自分を疎外したときマイナスの力が働き破壊性を持ちます。マイナスのエネルギーを反転すれば社会変革と結びつけたエネルギーを持つことができ、「深く傷ついた」体験を「希望をより深められた」体験に転化にできます。ここに人間の回復力の強さがあります。

 4.希望としての労働

 「働くというのは、はたはたのものを楽にするから、はたらく」(「稿本教祖伝逸話篇」より)と言われます。しかし。最近では、巨大ネット書店の出現で町の小さな本屋さんは次々つぶれ、一方こうした巨大ネット書店での労働は「1分間に3冊さがす」といわれているが、そのような中で行われている「労働」とはいかなるものか。私は注文して2週間かかっても天理市内の小さな書店に書籍の注文を行うこととしています。「働く」という意味を自らが組み替え、組み直していくことが公正で正義の社会構築につながると思います。

 5.誰もが皆が自分の「人生の勝ち組」に

私は、社会変革のアクションに参加することを宗教者に訴えたいと思っています。「つぶれるものはつぶれても良い」というような、権力の存在や社会の同調圧力に対して無自覚・無抵抗であってはなりません。自己の経営的確立と同時に社会のすべての人にこれを促す。結果として誰もが「人生の勝ち組」になれるような世界を作っていく。そのための自己改革と社会変革こそが必要とされていると思うからです。

《この講演要旨の文責は大阪希望館運営協議会事務局です》

大阪希望館設立1周年記念集会を開催(7/31)

Filed under: お知らせ,スタッフBlog — 事務局 @ 5:06 PM

客席1

「大阪希望館」運営協議会は、7月31日(土)午後2時から北区・「大淀コミュニティセンター」において「大阪希望館設立1周年記念集会」を開催し、227人が参加しました。

合田清さん 集会のオープニングは「さすらいのピアノマン」こと合田清さんと自立支援センター職員としてホームレスの就労支援に取り組む傍ら音楽活動も行っている竹内俊浩さんによるミニコンサート。お二人ジョイントによる「レット・イット・ビー」などポップスの演奏の後、合田さんによる「エリーゼのために」などクラシック・ピアノ曲の独奏。最後に演奏されたのは合田さん作曲による「The Water of Blue」。素晴らしい演奏に会場は盛り上がりました。なお、この曲は先ごろリリースされた合田さんのCD「祈り」にも収録されています。

  山田共同代表続いて、山田保夫・運営協議会共同代表が挨拶に立ち、「正規・非正規を問わず働く者の支え合いが一番大切です。私は大阪希望館の取り組みを通じてこの1年、『支え合う』ということを自問自答してきたように感じます。人を支えるというのは大変だけど、そこに支えてもらってもいるという安堵感もあるのが『支え合う』という関係だと気付きました。何事にしろ2年目は1年目には経験しなかった困難に出会う可能性もありますが、その困難ももう一度『支え合う』ことを考えるきっかけとして発展していきたいと思います。参加者の皆さまの引き続くご支援をお願いします」と2年目の決意と支援のお願いを訴えました。

沖野事務局長 次に沖野充彦・運営協議会事務局長が1年間の活動紹介とともに「希望館を巣立った人たちも決して楽な生活が待っているわけではなく、様々な困難に直面しながら頑張っています。希望館はそんな苦労を共有し合い一緒に考えていくことのできる場になっていかなくてはなりません。そのためには地域に関わっていくことが重要です。今年の6月から希望館・大淀寮・大阪市立大学が協働して『おおよど縁パワーネット」という事業を立ち上げました。希望館の利用者と巣立った人たちの支え合いのネットワークを『おおよど』という地域にも生かし、その一方で地域の利用者の皆さん中に彼らの活動と働く場づくりを展望していく、そんな取り組みにも力を注いでいきたいと思っています」と2年目の抱負を語りました。また、利用者とOBを代表して3人の人が希望館との出会い、今の生活と目標について語ると、会場から大きな拍手が湧き上がりました。

 最後に天理大学おやさと研究所教授の金子昭先生による記念講演を受けました(講演要旨については別項目をご参照ください)。

 猛暑の中の集会となりましたが、ご参加いただきました皆さん、本当にありがとうございました。

 なお、当日の会場設営及び撤収につきましては大阪希望館利用者およびOBの皆さんがボランティアで担ってくださいました。ご紹介しお礼申し上げます。ありがとうございました。

« 前ページへ次ページへ »