HOME>大阪希望館とは
格差社会や貧困、解雇や雇い止め、「派遣切り」、「ネットカフェ難民」…。現在を表現する言葉は限りなく暗い。2008年5月にスタートした「OSAKAチャレンジネット」を頼って相談に来る人たちも、昨年秋以降、世界的不況が伝えられる中、増加し、若年化し、そして深刻化していきました。
子どもや若者は社会の未来そのものといわれます。その若者たちが仕事を失い、住居を失い、路上生活を余儀なくされる。そんな社会であってはならない。そんな大阪であってはならない。その強い思いから、仕事と住まいを失った人たちにとりあえず緊急に「住まい」と「食」を提供し、再出発の方向と方法を一緒に考えられる時間と場所として「大阪希望館」は構想されました。
小説『大阪希望館』の作者。『てんのじ村』で第91回直木賞受賞。2006年大阪芸術賞を受賞。他に『小説吉本興業』『ゴルフ人生喜怒哀楽』など多数。
「大阪希望館」という名称は、作家・難波利三さんの同名の小説から、難波さんのご快諾を得て命名しました。小説「大阪希望館」は、終戦直後の大阪で戦災孤児や母子、高齢者、帰る家を失った復員兵などを保護した大阪市の「梅田厚生館」とその館長をモデルとした作品で、直木賞候補作です。公立施設でありながら当時公費は乏しく、運営経費の多くが館長の才覚と市民の善意で賄われました。作品は戦後の困難な時代を生き抜いていく大阪人のしたたかさと情の厚さを見事に描いています。
この名前には、市民の力で仕事と住まいを失った人たちの再出発を支援する、絶望している人たちにもう一度希望を持っていただく、そして彼ら彼女らに希望を与えうる大阪であることこそが大阪の希望でもある、という思いがこもっています。
【報道記事】60年前は希望があった:「大阪希望館」名誉館長に聞く(2009年8月7日、大阪日日新聞)
2009年5月30日に「大阪希望館・相談センター」を開設し、6月8日からは「大阪希望館支援居室」による入居者の受け入れを開始しました。
開設1カ月を経て、7月11日、多くの市民・団体の結集を得て、「大阪希望館運営協議会結成総会」を開催し、運営協議会を正式発足しました。
大阪希望館の運営費・入居者等への支援経費は、2009年度はほぼすべて寄付金によって賄われ、2010年度からは、寄付金とともに各種の助成金や補助金・受託事業等によって賄われてきました。
2012年2月21日には、希望館所在地域でのセーフティネットづくりや各種の支援事業を進めていくために、運営協議会の下に「一般社団法人 大阪希望館」を設立しています。
2015年4月からは、大阪希望館の理念である「誰も社会からこぼれ落とさない」、そのために「大阪のまちを大きなセーフティネットにしていく」ための活動を広げるため、大阪希望館の支援用の居室を「支援ハウス・ホープ」と名付け直しました。
また5月からは、大阪希望館の地域活動センターとして活用させていただいてきた「旧天神橋温泉」で、障がい福祉サービス事業として「就労移行支援事業所ホープ・エッグ」と「まちかどサロンほっぽ」を開設します。